努力は必ず報われるを推奨する言葉足らずの阿呆たち

コラム
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努力は必ず報われる

よく聞くこの言葉。
間違ってはいないけど、正しくない。

というか言葉が全然足りていないのが現状です。
にも関わらず、この努力は必ず報われるという言葉をこのまま他人に押し付けている阿呆が世の中に多くて困ります。

それもそのはず、だって本質が理解できていない人ほどこの言葉を使いたがるから。

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努力は必ず報われるは大間違い

努力は必ず報われるではなく、「正しい努力は報われる可能性が高い」が正解。

で、もっと言うと努力が報われる人は、その努力を努力と思わない人です。
自分は今まさに大変な思いをして、苦虫を噛み潰すような思いをして目標に向けて努力をしている。

努力は必ず報われるというのだから、目標が必ず達成されるはずだ。

な~んて思ってしまうと、これが報われなかった時に「なんだよ、嘘つき」と感じてしまい、「努力をしても報われない」と思ってしまい、以後の人生で努力をしなくなり、面白くない人生を送ることになります。

言葉尻を捉えているだけのようで、これってかなり大事なことです。

学校の教員などのしょうもない仕事をしている人、自称教育評論家みたいな詐欺師まがいの人たちが、この本質を理解しないままにこの言葉を使いたがります。

結果正しい努力の意味を理解できないまま腐ってしまう子供達、被害者がどれほどいるか。

ま、学校の教員や教育評論家のような、腐りきってカビの生えているダメダメ文科省の教育方針を推奨したり、その手先として働いている人が正しい努力を理解できるはずもありませんがね。

当然、これらの職種の中にも少数ですがこれを理解できている人もいます。

が、教育委員会やPTAなどの「世界と戦う人材育成の邪魔をする機関」に妨害されてしまっているのが現状です。

それが証拠に、学校に行かないで別の場所で教育を受けたほうが優秀な人材が育っていますからね。

現在の日本の教育は「働きアリをつくること、人畜製造のための洗脳」でしかありません。
自分たちより優秀な人材が育ってしまうと、自分たちが甘露にありつけなくなるので、必死にそれを防いでいるわけです。

なんとも嘆かわしい、レベルの低い話ですが、これが事実ですから仕方ありません。

努力をしていると感じる時点で成功しない

成功する人は努力を努力と思っていません。

周りから見れば大変な努力に見えても、それがその人にとっては呼吸をするのと同じように当たり前なのです。

ただ、好きなこと、楽しいと感じることを突き詰めているだけです。

だからそれができている、できる環境にあるでけで幸せ、満足なので見返りを求めないのです。

勉強は楽しくないけれど、〇〇大学に合格するために勉強する。
となっているから合格できなかった場合に努力自体を否定するようになってしまうのです。

楽しいと感じること、それができるだけで幸せと感じることだけを突き詰めていけば良いのです。

本来教育とは、その幸せと感じることを見つける手助けをするためのものであって、ステレオタイプの人畜を作るためのものではないのです。

そうは言っても、それでは就職できないし生きていけないのでは?

と思う人もいるでしょうが、それこそが今の日本の人畜製造教育に見事に洗脳されている証の1つです。

今の時代、そしてこれから先の未来には、あらゆることが仕事になる時代が来ます

考えてみてください。

一昔前、ブログやユーチューブで生活できる人が現れると思いましたか?
プロゲーマーが世界的な仕事になると考えましたか?

当然これで生計を立てていくのは容易ではありませんが、正しい努力ができる人ならば苦になりませんから、幸せな人生を送ることができます。

これから先多くの職業、特に今の時代でいうエリートの仕事はあっという間にロボットに取って変わられます。

反対の動きもあるでしょうが、人間は便利には勝てませんから必ずそうなります。

そうなった時に大事なのはAIが苦手とすること、人間ならではの「不合理性」ようは「無駄なこと」をどれだけ追求できるかが勝負の分かれ目になります。

努力と感じないで没頭できることをいかに突き詰めていけるか。
あえて努力という単語を使うなら、これが本当の報われる努力です。

まとめ

ステレオ人畜になりたいのなら、今までどおり「無駄な努力」をしてください。

文科省やその手先が言うことをなんの疑いも持たずに、それが当たり前だからと飲み込んでいては、近いうちに「いらない人」になりますよ。

子供をそうさせたくなければ、まずはあなた自身が気づきましょう。

努力は必ず報われる

という言葉を得意げに口にする人は「残念で、いらなくなる人」だと思ってください。

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