スゴク長くなってしまった。
しかし、私の考えはどうでも良いとしても知っておいて損はない内容です。
・グーグルのラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン
・マイクロソフトのスティーブ・バルマー
・スターバックスのハワード・シュルツ
・GAPのドナルド・フィッシャー
・ゴールドマン・サックスのマーカス・ゴールドマン
これらの優秀な起業家や実業家は、ユダヤ人家庭に生まれています。
公表されている中での一部であり、まだまだ優秀な人々が多いユダヤ人。
少数民族でありながら、多くの世界トップクラスの人を輩出できている理由は、この記事の中身であるユダヤの教え(タルムード)の考え方が非常に優れているからであると考えます。
これを子供の頃からしっかりと教えられているのなら、優秀な人材が育ってしかるべきです。
日本の腐った文科省や教育委員会が作り、洗脳してくるモノの考え方では、世界と戦える、真の意味で自由に豊かに生きていく人材が育たないのは当然です。
断っておくと、宗教としてのユダヤ教信者ではないし、入信を進める意図は全くないということを先に伝えておきます。
子供の教育や社会生活を送る上での処世術に通じるものが多くあるタルムード。
今回はこれについて、私の感想なども織り交ぜながら書いていきます。
その成り立ちや宗教観、ホロコーストなどに代表される歴史上の迫害の経緯などに関してはこの記事では触れません。
- ユダヤの教え、タルムード
- 知識(本)に関すること
- 一日勉強しなければ、それを取り戻すのに二日かかる。
- 耳と耳の間に、最大の資産がある。
- 本のない家は、魂を欠いた体のようなものだ。
- もし、本と服を汚したら、まず本から拭きなさい。
- もし生活が貧しくて物を売らなければならないとしたら、まず金、宝石、家、土地を売りなさい 最後まで売ってはいけないのは本である
- 旅の途中で故郷の町の人々が知らないような本に出会ったら、必ずその本を買い求め、故郷に持ち帰りなさい
- 人が生きている限り、奪うことが出来ないものがある。それは知識である
- 知識は水に似ている。高いところから低いところへ流れる
- 恥ずかしがる人は、よい生徒にはなれない。人はどん欲に学ばなければならない
- 学んだことを復習するのは、覚えるためではない。何回も復習するうちに、新しい発見があるからだ
- 出逢った人すべてから、何かを学べる人が最も賢い
- 私たちは権威ある先人たちの教えから多くのことを学ぶべきだ。しかし背に大量の本を積んだロバになってはならない
- 最も大切な事は、学習ではなく、実行である
- 真に貧しい者としてとどまっているのは、知性のない者だけ
- 知者が間違うときは、恐ろしいほど根本的に間違う
- 人付き合いや処世術
- 自分のことだけ考えている人間は、自分である資格すらない。
- 人を賞賛できる人こそ、本当に誉れ高き人である。
- 神の前で泣き、人の前で笑え。
- 商人は出来る限り口を閉じていよ。人々に賢いと思われるよりも、愚かだと思われるべきだ
- 商人は安く買えるあらゆる商品を仕入れ、できるだけ早く小さなマージンで売れ
- あなたの手にあり、他人が欲している商品を安く売るのは、ビジネスではない。あなたの手になく、しかも他人が欲していないものを売るのがビジネスだ
- 自分より賢い人がいるときは沈黙
- 答えるときにあわてない
- 人の話の腰を折らない
- 常に的を射た質問をし、筋道だった答えをする
- まずしなければならないことから手を付け、後回しにできるものは最後にする
- 自分が知らないときはそれを認める
- 真実を認める
- 偉人を過大に評価してはならない。同じように、小人を過小に評価してはならない
- 自分の肩書きを人に教えようとする人間は、すでに自分の人格を傷つけている
- 自分より賢い者に負ける方が、自分より愚かな者に勝つよりも得だ
- 相手の立場に立たないで、人を判断するな
- もしあなたの周囲に傑出した人がいないなら、あなたがならなければならない
- 美徳と証するものは、他人の嫉妬を刺激するものだが、 控えめであることだけは例外だ。
- 自分が相手と同じ立場に立ったことがないのなら、その相手を批判する資格はあなたにはない。
- どんな質問でも、必ずしも答える価値があるとは限らない
- 汝の友人の一部は汝を非難し、他は称讃す。汝を非難する人々に近づき、称讃する人々より遠ざかれ。
- ヤギには前から近づかない。馬には後から近づかない。愚か者にはどの角度からも近づかない事だ。
- 人生では、時には愚か者を演じなければならない時がある。
- 捕まえた鳥を逃がしても、また捕まえられるかもしれない。だが、一度発した言葉を取り返すことはできない。
- 利害関係ができたときにはじめて、友人かどうかが分かる
- 幼い子供は厳しくしつけるべきだが、子供が怯えるようなことがあってはならない。
- 子供は、両親が家で話すことを街でしゃべる。
- 人生訓や金(資産)に関すること
- 豊かな人とは自分の持っているもので、満足できる人のことである。
- 嫉妬は1000の目を持っている。しかし、何一つ正しく見えていない。
- 1つの庭を手入れするほうが、多くの庭を持ってほったらかしにするよりはよい。 1つの庭を持つ人は鳥を食べることができるが、多くの庭を持つ人は鳥に食べられてしまう
- 何も打つ手がないときにも、ひとつだけ必ず打つ手がある。それは、勇気を持つことである
- 失敗を恐れる方が、失敗を犯すよりも悪い
- 最も大切な事は、学習ではなく、実行である
- 金は道具である、道具に支配される者などいない。 だから、道具はできるだけ多く持っている方がいい
- 金は、本質以外のモノなら何でも買える
- 金のために結婚する者には不良の子が育つ
- 不幸を悲しむのは、不幸が起こってからでも遅くはない
- 善と悪を区別できるだけでは、まだ賢者とは言えない。二つの悪の中から小さい方の悪を選ぶことができる者が賢者である
- すべての人に対して一様に親切な者は、たいていはまた、すべての人に対して一様に不親切である
- 一文もとらずに治療する医者は、一文の値打ちもない医者
- 人は仕事がないと政治に関わり始める
- 自分の力ではどうにもならないことは、心配するな。
- 罠を仕掛ける者は、罠に落ちるであろう。
- 神は超えられない試練を人には与えない。
- 小さな穴は、大きな船を沈めてしまう。
- 医者に尋ねるより病人に尋ねよ
- 病んでいる人が病んでいる人のために祈るときは、祈りの力は倍になる
- 貧乏人と病人の忠告にはいつも真意がある
- 自らを高きにおく者は、神によりて低きに堕とされ、みずからを低きにおく者は、神によりて高きに上げられる。
- 金をなくしても、何も失わない。誇りをなくせば、多くを失う。 勇気をなくせば、すべてを失う。
- 知識(本)に関すること
- まとめ
ユダヤの教え、タルムード
分類に関しては私の独断と偏見です。
真意がそうであるとは保証できませんので、あしからず。
また、訳し方によって単語や文体は違うかもしれませんが、ニュアンスは一緒だと思います。
知識(本)に関すること
本という記述に関しては、知識の源泉であると捉える方が現代の感覚により近くなると思います。
言うなればスマホやパソコン(当然ネットに繋がることが必須)も、これに同意であると考えて良いでしょう。
一日勉強しなければ、それを取り戻すのに二日かかる。
毎日コツコツ続けることが大事であるということ。
耳と耳の間に、最大の資産がある。
要するに脳のことでしょう。
死ぬまで一番大きな資産は私たちの体の中に常に有るということです。
本のない家は、魂を欠いた体のようなものだ。
これをそのまま受け取るのは少し違う気もしますが、それほど本(知識の源泉)は人間にとって大事なものであるということでしょう。
もし、本と服を汚したら、まず本から拭きなさい。
本=魂とまで表現しているのですから、これは当然のことでしょう。
もし生活が貧しくて物を売らなければならないとしたら、まず金、宝石、家、土地を売りなさい 最後まで売ってはいけないのは本である
これも本=魂なれば当然。
知識や魂を、生活のためとは言え安売りしてしまってはダメだということです。
旅の途中で故郷の町の人々が知らないような本に出会ったら、必ずその本を買い求め、故郷に持ち帰りなさい
本=新たな技術とも捉えられます。
新たな技術や考え方を、それがない場所に持ち帰ることができれば、あらゆる面でプラスに作用するということです。
人が生きている限り、奪うことが出来ないものがある。それは知識である
これは現代には必ずしも当てはまるとは限らないと思います。
あらゆることがコピーできる現代においては、知識すらも奪われる可能性、リスクは常に付きまとってしまいます。
知識は水に似ている。高いところから低いところへ流れる
高いところとは、当然物理的な高さのことではないです。
知識を豊富に持ち、行動を起こすことのできる人間は、人間として高位であると言えそういう人達から、降り注いでくるものが知識であるということです。
恥ずかしがる人は、よい生徒にはなれない。人はどん欲に学ばなければならない
あらゆる場面で時間は限られています。
その限られた中で1つでも多くのことを得ようとするならば、恥ずかしがってなどいられないはずです。
チャンスは一瞬のためらいで逃げていくものですよ。
学んだことを復習するのは、覚えるためではない。何回も復習するうちに、新しい発見があるからだ
これは正に勉強の本質の1つといえます。
ここを理解して勉強しているかどうかで、本当の意味での勉強ができるかどうかが決まると言っても過言ではありません。
ある意味、温故知新とも言えるでしょう。
出逢った人すべてから、何かを学べる人が最も賢い
これは大事だと分かっていても、なかなか難しいことです。
全ての人に対して、偏見などを持たずに真摯な態度、フラットな目線を持てなければこれを実践することはできないからです。
これができる人は、確かに賢い人といえるでしょう。
私たちは権威ある先人たちの教えから多くのことを学ぶべきだ。しかし背に大量の本を積んだロバになってはならない
先程も出た温故知新。
これは大事な考え方ですが、それ(既存、既知の知識)をただただ積み上げる(記憶する)だけではダメだと言うことを教えています。
それを使って、なにを生み出せるか。
ここを常に考える必要があるということです。
最も大切な事は、学習ではなく、実行である
これもまた、芯を食っています。
頭でっかちでは、結果何も変えることなどできないものです。
全くなにも考えずに行動することが正しいかどうかは賛否あるでしょうが、どうあれ最終的にはいかに素早く行動に移せるかは大事なことです。
真に貧しい者としてとどまっているのは、知性のない者だけ
知性、知識を持てば、真の貧しさからは離れられる。
貧しさとは何も金銭的な問題だけではないということですね。
知者が間違うときは、恐ろしいほど根本的に間違う
自分を知者だと思っている人間は、自分の知性や知識に絶対の自信を持っているものです。
その知識の中身の真偽に関わらず。
ダメな医者や政治家、教育者などを見ていればこれは全くその通りであることが容易に伺えます。
タルムードにおける知識とは、何よりも尊い、最も重要とするべき存在であることが分かります。
人間は考える葦である
という言葉もあるように、知識を高め、考え続けてこそ人間は人間であることができるわけです。
考えることを止め、常識やメディアの言うことになんの疑いも持たず、流される生き方を選んだ時点で、その人は既に人間ではなくなっているのです。
人付き合いや処世術
自分のことだけ考えている人間は、自分である資格すらない。
人間は他社の存在によって自分の存在を認識します。
周りの存在があってこその自分であることを意識して、周囲に対して気を配ることができなければ、自分という存在を確認することすらできません。
人を賞賛できる人こそ、本当に誉れ高き人である。
人の不幸は蜜の味というように、他人の不幸を賞賛するというか、嬉しがる人は多いです。
しかし、それは同時に自分の心を浅ましく虚しいものにしてしまう行為でもあります。
嫉妬や妬みなどの感情よりも、他人の功績を素直に賞賛できる心の方が強い人は、その心意気によって自身の心も誉れあるものに変わっていきます。
神の前で泣き、人の前で笑え。
顔で笑って心で泣いて。
神の前でというのはイマイチピンときませんが、人の前で泣いてばかりいる人よりは笑っている人の方が、あらゆる面で優遇されるでしょう。
商人は出来る限り口を閉じていよ。人々に賢いと思われるよりも、愚かだと思われるべきだ
これはバランスが大事な項目でしょう。
基本的には賛同しますが、あまりにも愚かな人から何かを得ようとは思いませんからね。
ただここで言う愚かは愚直とも捉えられ、そうであるならば胡散臭さが消えて、信用されやすいとも考えられますね。
商人は安く買えるあらゆる商品を仕入れ、できるだけ早く小さなマージンで売れ
人間には保有効果という心理効果があります。
商売人がこれを持ってしまっては、機会損失を連発することにもなりかねません。
また、変なこだわりは商売には必要ありません。
儲かりそうなモノに素早く挑戦して、また次を見つけて新たな利益を狙っていく。
競争が激化したレッドオーシャンからはとっととおさらばして、ブルーオーシャンだけを狙っていきましょうとも言えますね。
あなたの手にあり、他人が欲している商品を安く売るのは、ビジネスではない。あなたの手になく、しかも他人が欲していないものを売るのがビジネスだ
あなたの手になく。の部分は正直よくわかりません。
ただ、他人が欲していないものを売れ、はセールスの基本的な考え方の1つに通じています。
今は価値を感じていない、必要としていないモノを相手に価値を感じさせて売ることこそがセールスです。
自分より賢い人がいるときは沈黙
往々にして、自分がそのコミュニティの中で一番の知識人であると見られたいと、人間は思うものです。
これは承認欲求によるものですから、ある程度は仕方ありませんが、自分よりも賢い人が居る場合は自分が1番ではないことを素直に認めて黙る方がスマートですよね。
自分の方が上なんだと足掻く姿は無様以外の何者でもありません。
また、自分より賢い人がいる場所はチャンスの場所でもあります。
無様に足掻いて騒いでいては、その人の見識ある意見を聞き逃してしまうことにもなり、非常に勿体無いともいえます。
答えるときにあわてない
1度発した言葉は取り返せません。
答えとはあなたの意見の1つの終着点ですから、そこを失敗してしまっては良くありません。
終わりよければ全て良し。逆に終わり悪ければ全て悪しです。そうならないために、冷静にひと呼吸おいて答えるようにしましょう。
人の話の腰を折らない
単純に嫌な奴ですよね。朝まで生テレビ。
常に的を射た質問をし、筋道だった答えをする
その事象の本質部分は何かを常に意識して、それに対して論理的な考えをする。これは全てのことに対して重要な考え方ですよね。
まずしなければならないことから手を付け、後回しにできるものは最後にする
これをするためには、対象の全体像を的確に判断できるようになる必要があります。
全体を把握して具体的な計画を論理的な思考でもって考えることができれば、物事の優先順位も付けられるようになります。
自分が知らないときはそれを認める
知ったかぶりほど恥ずかしいことはありませんよね。
真実を認める
事実は事実として、嫌なことでも正面から向き合うことができるかどうか。
嫌なことだからといって、自分に都合の良いようにばかり事実を曲解していては、どんどん良くない方向に物事は進んでしまいます。
偉人を過大に評価してはならない。同じように、小人を過小に評価してはならない
偉人とされる人は周りからそう思われることで、本来の力よりも大きな力を持っているように周囲も本人も勘違いしてしまいがちです。
芸能人だってスポーツ選手だってオーラなんてありません。
その人の背景を知っていて、スポットライトのあたる場所で周囲が担ぎ上げるから偉大だと錯覚しているだけです。
あなたの知らないマイナースポーツの世界チャンピオンに会っても、あなたはその人を偉大な人だとは思わないはずです。
世間的に小人とみなされている人もそうです。
ただそう見える状況やラベリングがされているだけであって、本質部分がどうであるかは容易に分かることではありません。
自分の肩書きを人に教えようとする人間は、すでに自分の人格を傷つけている
日本人は特にそうです。
社長の〇〇ですという人がスゴく多いです。
肩書きは所詮肩書きであって、それは本来大した意味を持つものではありません。
外国人は最初に肩書きを言う人は少なく、名前を初めに言います。
自分に自信のない人ほどこの肩書きにこだわります。
なにより大事なのは、自分自身の存在であって、肩書きではありません。
自分より賢い者に負ける方が、自分より愚かな者に勝つよりも得だ
レベル50でレベル1のスライムばっかり倒しても経験値はもらえませんし、面白くもありません。
勝つと分かっている弱者を相手に矮小な勝利を積み重ねることなんて、時間の無駄でしかないということですね。
勝てるかどうか分からない強者に挑み続けることこそが、優れた人間としての生き方でもあります。
相手の立場に立たないで、人を判断するな
相手のことを考えて、人に優しくするためには相手の立場を想像するだけの想像力が必要です。
想像力は知識がなければ育ちません。
そんな知識も持ち合わせていない程度の人間が、軽々に人を判断するべきではないということでしょう。
もしあなたの周囲に傑出した人がいないなら、あなたがならなければならない
逆にあなたが傑出した人だと思う人が周囲に居るなら、その人を変に蹴落とそうとしたり嫉妬したりせずに、傑物を押し上げてあげる、サポートしてあげることも必要だとわかりますね。
美徳と証するものは、他人の嫉妬を刺激するものだが、 控えめであることだけは例外だ。
日本的にいうなれば謙虚であるということでしょう。
謙虚過ぎると逆に嫌われることもありますが、謙虚であるが故に妬み嫉みの対象になることは少ないですよね。
自分が相手と同じ立場に立ったことがないのなら、その相手を批判する資格はあなたにはない。
立場によって、人は本心が言えなかったり思うような振る舞いができない場合が多くあります。
その相手の立場を理解できないまま、上辺の言葉や振る舞いをその人の本質であると勝手に決めつけて相手を批判することは、愚かな行為であるといえますね。
どんな質問でも、必ずしも答える価値があるとは限らない
質問の意図がそもそも大きく的外れであるならば、その質問に答えることは無駄でしかありません。
汝の友人の一部は汝を非難し、他は称讃す。汝を非難する人々に近づき、称讃する人々より遠ざかれ。
変に褒めて擦り寄ってくる人は信用なりません。
イヤミや辛辣な批判をする人の方が、信用とまでは言わないまでもまだマシです。
そっちの意見の方が得るものが多いことも少なくありませんし。
ヤギには前から近づかない。馬には後から近づかない。愚か者にはどの角度からも近づかない事だ。
愚か者に近づくことは危険しかない、百害あって一利なしということですね。
人生では、時には愚か者を演じなければならない時がある。
真に頭の良い人でないと愚か者を演じることはできません。
ピエロになることで事を上手く進めることができる場合があることを、頭が良いから理解して実行できるのです。
捕まえた鳥を逃がしても、また捕まえられるかもしれない。だが、一度発した言葉を取り返すことはできない。
覆水盆に返らずです。
思いを言葉にする時は注意をしましょう。
利害関係ができたときにはじめて、友人かどうかが分かる
利害関係がない時は、わざわざ敵になろうとする人はあまりいませんよね。
利害関係が生じても尚あなたの味方をしてくれる人こそが真の友人であるということです。
幼い子供は厳しくしつけるべきだが、子供が怯えるようなことがあってはならない。
躾とただの怒りの発散は大きく違いますからね。
特に最近の日本ではこれを勘違いしている人が多くなっています。
子供は、両親が家で話すことを街でしゃべる。
人の口に戸は立てられぬと言いますが、子供はその際たる例です。
また、その話の意味を理解しているわけではないですから、聞いたことを面白がってただ吹聴してしまいます。
子供だから聞かれても大丈夫だろうと思わず、子供だからこそ話の中身に注意を払いましょう。
人生訓や金(資産)に関すること
豊かな人とは自分の持っているもので、満足できる人のことである。
確かにそうですが、全てがこうなってしまうと人間の進歩は終わってしまいますから、バランスが大事ですね。
嫉妬は1000の目を持っている。しかし、何一つ正しく見えていない。
裏を返せば嫉妬1つが1000の間違った情報を持ってくるということです。
・・・恐ろしいですね。
1つの庭を手入れするほうが、多くの庭を持ってほったらかしにするよりはよい。 1つの庭を持つ人は鳥を食べることができるが、多くの庭を持つ人は鳥に食べられてしまう
そつなく見えるし、それなりに何でもできますが器用貧乏では結局な~んにも大成できないということです。
井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さ(深さ)を知る。
何も打つ手がないときにも、ひとつだけ必ず打つ手がある。それは、勇気を持つことである
ただその勇気を持つことが一番難しいのですが。
失敗を恐れる方が、失敗を犯すよりも悪い
とりあえずチャレンジする方が良いということです。
挑戦しないで後悔するより、挑戦して後悔したほうが良いという言葉の元だと考えられます。
最も大切な事は、学習ではなく、実行である
どんなに頭に知識を詰め込んでも、それをなにもアウトプットしなければ無いのと一緒ですからね。
金は道具である、道具に支配される者などいない。 だから、道具はできるだけ多く持っている方がいい
この考え方を出来ていない人がとても多いと感じます。
生きることを便利に、豊かにするために持っておくと便利な道具でしかない金。
それを得るために生きているわけではありません。
金は、本質以外のモノなら何でも買える
金で買えないものはないと言うと、人の命は金で買えないというアホがいますが、あんたも命を金で買ってるでしょう?
病気になって病院に行って治療を受けることなどを筆頭に例を挙げればいくらでもあります。
メンドクサイから書きませんけど。
でも、確かに本質、真理はいくら金を積んでも買えませんし、見ることもできませんよね。
金のために結婚する者には不良の子が育つ
結婚自体が愚行だから、どっちにしてもと個人的には思ってしまいます。
不幸を悲しむのは、不幸が起こってからでも遅くはない
先のことは誰にも分かりませんし、不幸になるのではと思って生活していると、不幸になるように無意識に行動してしまいます。
引き寄せの法則なんていうスピリチュアル(というかただの詐欺)ではなく、単純に自己催眠、自己暗示によってそうなってしまう可能性を高めてしまうのです。
善と悪を区別できるだけでは、まだ賢者とは言えない。二つの悪の中から小さい方の悪を選ぶことができる者が賢者である
この世に善なんてありませんからね。
このことすら理解できていないようでは、そりゃ賢者ではありませんよ。
すべての人に対して一様に親切な者は、たいていはまた、すべての人に対して一様に不親切である
八方美人にロクな奴はいませんよね。
一文もとらずに治療する医者は、一文の値打ちもない医者
価値のある行為に対して、その価値を正当に自己評価できない奴はダメですよね。
過大評価して金を盗っている政治家や医者などの愚か者に見て欲しい一文ですね。
人は仕事がないと政治に関わり始める
結局暇を持て余した存在価値のないアホ以外は、政治なんて無駄なことに関わって虚飾にまみれた安い権力を求めませんからね。
自分の力ではどうにもならないことは、心配するな。
無駄ですからね。死ぬときは何をしても死にます。
罠を仕掛ける者は、罠に落ちるであろう。
因果応報、自分に返ってくるってことですね。
神は超えられない試練を人には与えない。
これよく聞きませんか?実はユダヤの教えだったんですね。
小さな穴は、大きな船を沈めてしまう。
小さなほころびだと油断していると、それが原因でとんでもない事態に発展することがあるから、小さい問題も決して軽視してはいけないということです。
医者に尋ねるより病人に尋ねよ
実際に体験した人の方が、当然芯を食った答えを期待できます。
体験していなければ所詮は机上の空論にすぎませんから。
病んでいる人が病んでいる人のために祈るときは、祈りの力は倍になる
自分が苦しい状態にありながらも、それでも相手のことを祈るのであれば確かにその思いは通常よりも強い動機によるものであると考えられます。
祈って治ることはないでしょうが。
貧乏人と病人の忠告にはいつも真意がある
この2者は生きること、引いては死に対して向き合う必要がある立場にありますから、くだらない虚栄心などとは無縁の意見が出やすくなるのでしょう。
自らを高きにおく者は、神によりて低きに堕とされ、みずからを低きにおく者は、神によりて高きに上げられる。
天狗になるなって話です。
金をなくしても、何も失わない。誇りをなくせば、多くを失う。 勇気をなくせば、すべてを失う。
金はその気になれば何とでもできますからね。
誇りと勇気がなければ金を得ることすれもできませんからね。
まとめ
どうですか?いくつか心に響いたものがあったのではないでしょうか。
日本のしょうもない文科省や教育委員会によってつくられた、人畜製造のためだけの安い教育理論とは大きく違う、得るものの多い教訓集ではなかったでしょうか?
これを見て、むしろ「なんだこれ」と思った人は、立派な人畜です。
しょうもない日本の政治家や教育者たちのために、その人生を大いに使ってください。
洗脳され、毒されきった人を救うことは、それこそ神様にでもお願いしましょう。