オッス、オラ野沢雅子。でお馴染みの芸人のアイデンティティの話ではありませんよ。
アイデンティティって言葉は結構使われている方だと思いますが、実際にはどういう意味なのか今ひとつピンと来ていない人もいるのではないでしょうか?
今回はこのアイデンティティと、それに付随するモラトリアムという考え方に関しても書いていきます。
アイデンティティとは何か?
アイデンティティとはアメリカの心理学者である、エリク・エリクソンがつけた呼び方です。
日本語では自己同一性、自己の存在証明と訳されます。
要は自分とは何か?に対する1つの答えです。
子供の頃はこれについてはあまり考えないですが、思春期ぐらいから誰しもこの考えを多かれ少なかれ持つようになります。
このことからも、アイデンティティは社会の中での自己の確立とも言えます。
自分自身の内面と向き合う、もっと高いレベルでの思想や理念の話ではありません。
社会において、自分はこういう存在であると、ある種の妥協と思い込みを行い、1つの強固なペルソナを創ることとも言えます。
俗に言う大人らしさ、大人になりなさいと言われる思想ですね。
アイデンティティ拡散とモラトリアム
アイデンティティの確立は非常に重要であるとされています。
大人らしさを持ち、社会生活を送るためには必要なことでしょう。
これが上手いこといかずに、知的・身体的には一人前でありながら、社会人としての義務を果たさない、逃げている人のことを日本の精神分析学者の小此木啓吾さんはモラトリアム人間と名づけました。
モラトリアムとは「しばらくの間やめる」という意味だそうです。
で、このモラトリアムの状態にある人は、エリクソン曰くアイデンティティ拡散状態だそうです。
アイデンティティ拡散は以下のような特徴があるとされています。
・アイデンティティの過剰意識
自分にこだわり過ぎる(自意識過剰)になってしまい、自信を失う。
・否定的アイデンティティの選択
社会的に当たり前、良いこととされることに対して否定したくなる。
・時間的展望の拡散
時間間隔が鈍くなり未来がイメージできず、自殺願望がでてくる。
・両性的拡散
性的同一性(男、女らしさ)が確立できているかに自信が持てず、異性を怖がるようになる。
・理想の拡散
人生の目的となり得る理想が多くありすぎて、結局混乱してしまう。
・権威の拡散
権威や組織に必要以上に媚びへつらうか、必要以上に忌み嫌うなど適切な対応ができない。
・労働マヒ
趣味に没頭しすぎてしまい、他の大事なことが手につかなくなる。
と、これらの事が特徴とされていますが、正直時代錯誤も多いです。
否定的アイデンティティは特に今の時代には欠かせない感覚。
常に変革し、新しいことに挑戦しなければ生き残れない時代です。
現状や誰かが誰かの都合で作った社会通念などになんの疑いも持たないのは、アイデンティティどうこうよりも、思考の停止したただの木偶です。
労働マヒに関してもそうです。
好きなことや興味のあることに没頭できることほど、人生を幸せにするものはありません。
それを下らない社会のルール、大人らしさというものの為に捨てて仕事をする。
幸せに生きるための手段の1つでしかない仕事が人生の全てになってしまうのは、日本が行ってきた人畜教育の賜物と言えるでしょう。
今の時代は趣味でもなんでも、没頭して一定以上のクオリティが生み出せれば、どんなことでも生活の糧や小遣いを得るぐらいのことはできます。
ブログなんかもその良い例です。
まとめ
今の時代、あらゆることの選択肢は増え、それを選ぶ時期なども含めて自由度も増しています。
就職・結婚・出産などなど、昔は半強制的に行われていたこれらの行事は、ある意味でアイデンティティを創る上での大きな手助けとなっていました。
当然、それによる弊害、自由の無さは問題でしたが。
今は逆に自由過ぎて選択肢が多いことがアイデンティティを創ることを難しくしています。
多すぎる選択肢は人を幸せにしないという話もありますが、当然といえば当然と言えますね。
隣の芝生は青く見える、幸せを求めることで幸せが逃げていくとは、なんとも皮肉な話です。
そのことに関しては以下の記事も好評ですので是非!
フリーターやニートなども含めて、モラトリアム人間を悪とする風潮が未だにありますが、昔と違いそもそもアイデンティティの確立が難しいことを念頭に置いてこの話はするべきです。
一昔前の人たちが、アイデンティティと感じているものは、自分で追い求めて掴み取ったものではありません。
ただ社会の在り方、通念から無意識的に押し付けられたものをアイデンティティだと勘違いしているだけのことが多いですから。
価値観やあらゆることが多様化、自由度が増した今の時代に確立したアイデンティティこそが、本来の意味でのアイデンティティと呼べるのではないでしょうか。
昔の人のは・・・違うかな。